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ワンハンド・バックブリーカーの記憶

JUGEMテーマ:スポーツ
”人間風車”と冠されるビル・ロビンソンが亡くなった時、この異名に対してネットでの呟きの多くはダブルアーム・スープレックでは無くワンハンド・バックブリーカーの記憶を綴っていた。
ネット≒若者、あるいは精通した世代とするのには異を唱えるわたしだが、多少なりとも世代による利用者人口の差はあるだろう。
ロビンソンのダブルアーム・スープレックを実際に見た世代は、ネットでつぶやくような場所にはいないという事だ。

かく言うわたしもロビンソンの記憶はワンハンド・バックブリーカーの方で、国際プロレスはおろか馬場との試合も知らない。
つまりは全盛期でもないロビンソンを見たわけで、それは鶴田がニック・ボックウィンクルから奪取したAWA世界ヘビー級のベルトを持ち、敵の本拠地アメリカで防衛線を行った最初の遠征のチャレンジャーに名を連ねていた。
確か3試合を闘いその様子はすべてテレビ中継されたと思うが、ロビンソン戦は奇妙な試合だった。試合は鶴田がピンフォール勝ちを収めたものの、チャレンジャーであったロビンソンの方が強かった印象しか残っていない。
天龍はもちろんスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディという名だたるパワーファイターに対しても互角かそれ以上の強さを印象づけていた鶴田が見せた数少ない”圧された試合”として、この試合は記憶に残る。パワーではなくテクニックで強さを見せつけたという事も、特筆に値する。

こんな風に全日本の選手のイメージが強かったロビンソンがUWF系のUインターに現れた時は違和感があった。テーズ、ニック、ダニー・ホッジという選手たちも揃いぶみで、(Uインターとは何か?)と思ったものだ。
この中では私が現役時代を知るロビンソンとニック、つまり最も若い二人がエキシビションを闘ったのは当然の事だった。当初はホッジ対ロビンソンの試合だったはずだが、さすがにコンディションが整わず”若い”ニックとの対戦になった。
そしてそれさえ風化した頃、宮戸のUWFスネークピット・ジャパンでわたしはこの試合を実際に目にする事になる。

わたしがロビンソンの試合をリアルタイムに記憶しているのは3試合のみ。そしてVTRでどんどん魅き込まれていった猪木戦。
たったこれだけ、わずか数試合しか見ていないプロレスラー、ビル・ロビンソン。けれどもその訃報を聞いた時、私はしばし呆然とした。
 

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