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  • 2015.01.02 Friday
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200回

200・・・ニヒャク、にひゃく。
この200という言葉が、どうも心にかかる。
「200回以上作製に成功した」
という、恐らくはそれが実在のものであって医療などに実現できても、銀河鉄道999の機械の体なみにわたしには縁遠いだろうからどうでも良いことなのだが、”200回”という数値がパッと出る事が気になって仕方が無い。

大体、こういったやりとりで数値は有効ではあるものの、パッと口で「200回」と言われると(ホンマかいな)と思ってしまう。
そこにきてプロレス者ならきっと思い出したはずだ。
「前田はUWFで終わった男、200%勝てる」
という安生洋二の名言についてだ。

実際、安生は前田日明とは闘う機会が無く、その後も同じ”200%”を口にしヒクソンと闘い思い出すのも嫌な結果になり、のちには「ミスター200%」というキャラでプチブレークを見せた。
この”200”というのが微妙な数字で、”100”や”絶対”を使った方がよほど信憑性がある。
また”500”とか言われるといっきに冗談と思えるが、200というのは何だか本当のようにも思えてくる。
田村や桜庭、金原といった強者は安生とのスパーリングで鍛えられたと口を揃えるし、関係者で安生の実力を低く評する者はいない。「しかし前田にはかなわない」という声は当時多かったが、実はわたしは、闘えば前田はかなり危なかったのではないかと思っていた。終わった男、というのは遠からぬ表現で、実際RINGS(リングス)が旗揚げしすぐに膝を壊した前田は、あの時点で肉体的にはかなり終わってしまった。また団体の長として練習もあまりできていない様子は、あの体の見た目から明らかで、安生に明らかに勝っているのはウェイトだけといった状態だった。

さて、そこで
「200回以上作製に成功した」
という言葉だが、前田と安生の例を見てもわかるようにこれが決して偽りとは思えない。作製自体はこれほどなくても、なんたら細胞はあってもおかしくないと思うのだ。
ガリレオ・ガリレイだって「それでも地球は回っている」と言った訳だし、福来 友吉博士の念写実験だって今もって真実は霧の中だ。
ただ200って、やっぱり微妙な数字ですね。

RINGSへの無念

この本を買った目的は、もちろん前田日明。
(とは言いつつも、ほぼずっと『KAMINOGE』は買い続けているのだが)

UWFが30周年という事で出版ラッシュ(?)だが、どうも実感がわかない。
何だか昨日の事のように思えるからだ。齢のせいか、昔の事の方が鮮やかに思い出せる。あの頃の方が一つ一つに真剣だったせいかもしれない。

真剣だったと言えば当事者である前田日明はその何億倍もあの頃を真剣に生きている。今も「THE OUTSIDER」に対して真剣だから、頭が下がる思いだ。

『KAMINOGE Vol.28』のインタビューは語りつくされたはずの事からまた新たなものが出ていて、興味深かった。どれも既知の事ながら、それが少しずつ深堀されている。
前田はUWFはやりきったと言いつつも、一方RINGS(リングス)にはやり残した事がたくさんあると言う。
実はただ見ている側だったわたしもそれは同じ気持ち。RINGSの凄い外国人を追いながら高田が、山崎が、船木が、鈴木みのるが闘えばどうなるかとい未練は残るものの、面白い展開が見れたかはわからない。分裂した事で他の団体も楽しめたし、RINGS自体も外国人のみでワクワクする世界を見せてくれた。

インタビューの方に話を戻そう。
高田への思いは残念、Tの事については当事者ではないのに怒りがわいてくる。
しかし一番印象に残ったのがRINGSが潰れた原因について。さらりとした箇所だから、人によっては読み飛ばしてしまうかもしれない。何もかもがあからさまになる時代だが、本当の闇はだれも明かしてはくれないものだ。
RINGS者としては高柳謙一、和田良覚のインタビューも必見。
JUGEMテーマ:スポーツ

ワンハンド・バックブリーカーの記憶

JUGEMテーマ:スポーツ
”人間風車”と冠されるビル・ロビンソンが亡くなった時、この異名に対してネットでの呟きの多くはダブルアーム・スープレックでは無くワンハンド・バックブリーカーの記憶を綴っていた。
ネット≒若者、あるいは精通した世代とするのには異を唱えるわたしだが、多少なりとも世代による利用者人口の差はあるだろう。
ロビンソンのダブルアーム・スープレックを実際に見た世代は、ネットでつぶやくような場所にはいないという事だ。

かく言うわたしもロビンソンの記憶はワンハンド・バックブリーカーの方で、国際プロレスはおろか馬場との試合も知らない。
つまりは全盛期でもないロビンソンを見たわけで、それは鶴田がニック・ボックウィンクルから奪取したAWA世界ヘビー級のベルトを持ち、敵の本拠地アメリカで防衛線を行った最初の遠征のチャレンジャーに名を連ねていた。
確か3試合を闘いその様子はすべてテレビ中継されたと思うが、ロビンソン戦は奇妙な試合だった。試合は鶴田がピンフォール勝ちを収めたものの、チャレンジャーであったロビンソンの方が強かった印象しか残っていない。
天龍はもちろんスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディという名だたるパワーファイターに対しても互角かそれ以上の強さを印象づけていた鶴田が見せた数少ない”圧された試合”として、この試合は記憶に残る。パワーではなくテクニックで強さを見せつけたという事も、特筆に値する。

こんな風に全日本の選手のイメージが強かったロビンソンがUWF系のUインターに現れた時は違和感があった。テーズ、ニック、ダニー・ホッジという選手たちも揃いぶみで、(Uインターとは何か?)と思ったものだ。
この中では私が現役時代を知るロビンソンとニック、つまり最も若い二人がエキシビションを闘ったのは当然の事だった。当初はホッジ対ロビンソンの試合だったはずだが、さすがにコンディションが整わず”若い”ニックとの対戦になった。
そしてそれさえ風化した頃、宮戸のUWFスネークピット・ジャパンでわたしはこの試合を実際に目にする事になる。

わたしがロビンソンの試合をリアルタイムに記憶しているのは3試合のみ。そしてVTRでどんどん魅き込まれていった猪木戦。
たったこれだけ、わずか数試合しか見ていないプロレスラー、ビル・ロビンソン。けれどもその訃報を聞いた時、私はしばし呆然とした。
 

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